聖書 イザヤ書53章7~8節
    マタイによる福音書20章17~28節
説教題 「仕える者であれ」
「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。」(26~27)
  「仕える」という言葉は、元は食事を給仕することを意味しました。そこから誰かのために働くという意味で「仕える」という言葉が聖書で使われるようになりました。働きの内容は御言葉を宣べ伝えたり、御言葉どおりの生き方ができるよう導くことです。これらの働きは個人というよりも教会全体のものです。教会がこの働きを遂行できるよう、各自が主と教会のために賜物を生かしながら様々な面で協力し合うのが「仕える」ことです。この働きでは上か下かは関係ありません。
  ただし上になったり下になったりという仕方が一般的ですので、この考えを改めるのは容易ではありません。そこで主イエスはこう言われます。「人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように」(28)。主イエスは命をお献げになって真の意味で「仕える者」になりました。そして「同じように」私たちが「仕える者」になるよう呼びかけておいでです。主イエスの呼びかけなのでこれに応え、仕えられるのではなく主と教会に仕える者になりたいのです。
週報3月16日