聖書 エレミヤ書33章6~9節
ヘブライ人への手紙10章11~18節
説教題 「罪の赦しの確かさ」
「なぜなら、キリストは唯一の献げ物によって、聖なる者とされた人たちを永遠に完全な者となさったからです。」(14)
「唯一の」は「一つの」です。キリストがお献げになったいけにえは何度もではなく、一つで十分と言うわけです。キリストによる罪の贖いは一回です。そして「永遠に神の右の座に着き」(12)ましたので、キリストのいけにえは「永遠」のものでした。すなわち究極のいけにえです。キリストがご自身をいけにえとしてお献げになって、その一回で罪の贖いは何もかも終わったわけです。
ですからキリストによって罪を贖われ「聖なる者とされた人たち」は「永遠に完全な者」とされています。こういうわけでキリスト者は神の御前に立つのに相応しい状態にあります。私たちは神との関係を持ち続けられます。
人は罪を犯し続けますので、その都度悔い改めなければなりません。けれども昨日の罪も、明日の罪もすべてキリストによって贖われています。だから神は罪を「思い出しはしない」(17)と告げておられるのです。神のご意思で思い出さない。これが「赦し」(18)です。神は私たちの罪を確かにお赦しになりました。

