聖書 詩編139編1~6節
 テサロニケの信徒への手紙一 2章1~12節
説教題 「キリストに遣わされて」
「わたしたちは神に認められ、福音をゆだねられているからこそ、このように語っています。人に喜ばれるためではなく、わたしたちの心を吟味される神に喜んでいただくためです。」(4)
 パウロは「神に勇気づけられ、神の福音を語りました」(2)。そして、「私たちは神に認められたのだ」と申します。「認められた」という言葉は、試すとか吟味するという意味で使われることが、聖書ではよくあります。四節後半にも同じ言葉が使われております。つまり、「認められた」とパウロが言うときには、自分たちは神に調べられて結果が出されたという意味合いが込められています。神に吟味されて、福音を語るに相応しいかどうか、見極められました。私たちは良いも悪いも、神によって知り尽くされているわけです。
 神から太鼓判を押されたようなものです。福音の語り手としての価値を「認められています」。そうであれば語らなければなりません。そういうわけでパウロは、「神に福音をゆだねられた」(四)と、自信をもって記します。主キリストによって与えられた福音を、今度は伝える側になるよう、主キリストから遣わされているのだ、と私たちに語っているのです。