聖書 エレミヤ書18章1~10節
    ヨハネの黙示録3章14~22節
説教題 「主の呼びかけ」
「イスラエルの家よ、この陶工がしたように、わたしもお前たちに対してなしえないと言うのか、と主は言われる。見よ、粘土が陶工の手の中にあるように、イスラエルの家よ、お前たちはわたしの手の中にある。」(6)
 預言者エレミヤが陶工の仕事場で見たのは、粘土の塊が形を整えられて器の形に仕上げられ、途中で壊され、最初から作り直されるところでした。陶工の目にかなうかどうかで器は作り直され、粘土は自由自在に形を変えられます。神は、お前たちは陶工の手の中にある粘土と同じだ、と言われたのです。形を決めるのは粘土ではなく造り主です。神の目に良しとされる民をお作りになるのは人ではなく神ご自身です。
 神の目にかなわなければ壊されます。厳しい審きが待っています。しかし将来、新たに作り直されます。明るい兆しもほのかに見えます。壊されて終わりではありません。神の手の中にある限り、捨てられたわけではありません。神の民の歴史が続いていくことも聖書は語っています。神の民に対する神の情熱は失われません。その情熱があるからこそ、神はご自身の目にかなう神の民をお作りになります。陶工がしたように、神はご自身の手によって、神の目に良しとされる民を生み出されるのです。