聖書 詩編92編13~16節
    コリントの信徒への手紙二5章1~10節
説教題 「主に喜ばれる者」
「わたしたちの地上の住みかである幕屋が滅びても、神によって建物が備えられていることを、わたしたちは知っています。人の手で造られたものではない天にある永遠の住みかです。」(1)
  パウロは各々の体を「住みか」に喩えています。「地上の住みか」は今ある生きた体です。「幕屋」というのはテントのことですので頑丈ではありません。使っているうちに壊れます。それが死です。しかし一方で、「建物が備えられています」。「建物」ですのでしっかりしています。これが「天にある住みか」です。「永遠の」と言われておりますので壊れません。死がありません。「永遠の命の体」と申し上げてよいと思います。地上の体とは別に、「神によって天に備えられています」。すでにある、ということです。つまり私たちは、地上の体と天の体と二つの体を持っているわけです。
  死んだあと自分はどうなるのか? パウロの答えは明快です。神によって備えられた「永遠の住みか」があります。その保証として聖霊が与えられました(5)。それで私たちはいつも心強くいられますし(6)、生きるにしても死ぬにしても、主キリストに喜ばれる者でありたい(9)、という意欲がわいてきます。