聖書 イザヤ書61章1節
    ヨハネによる福音書7章25~31節
説教題 「神に遣わされたお方」
「『わたしはその方を知っている。わたしはその方のもとから来た者であり、その方がわたしをお遣わしになったのである。』」(29)
  何をもって主イエスを救い主と呼ぶのか。生まれや育ちか。教えの素晴らしさか。奇跡を起こす力か。人々の声をお聞きになって、主イエスはお答えになりました。「わたしは自分勝手に来たのではない」(28)。ご自分の意志を行うためではない、ということです。
  主イエスが来られたのは「自分の意志を行うためではなく、お遣わしになった方の御心を行うため」(6:38)でした。主イエスを「お遣わしになった方」がおられ、主イエスはその方の御心を行うため、すなわち「子を見て信じる者が皆永遠の命を得る」(6:40)ために遣わされたのでした。
  「遣わす」というのは、主イエスに使命をお与えになって、その使命を行わせることを指します。主イエスをお遣わしになった神は、私たちが主イエスを信じて、永遠の命を得られるようになさり、主イエスはその使命を実行するために来られたのです。主イエスが遣わされたという出来事は、神が私たちをどれほど心にかけておられるかを私たちに示しています。