聖書 イザヤ書53章3~5節
    ローマの信徒への手紙15章1~6節
説教題 「弱さを担う」
「わたしたち強い者は、強くない者の弱さを担うべきであり、自分の満足を求めるべきではありません。」(1)
  教会には強い人と弱い人が混じっています。自分は強いと言っている人たちに、弱い人の弱さを理解してほしくて、「弱さを担うべき」とここで語っています。「担う」というのは、背負って運ぶ、という意味の言葉です。ここでは、弱い人を支える、という意味で使われています。
  教会というところは、昔のイスラエルがそうだったように、旅をする群れに喩えられます。皆、自分の荷物を持っています。弱い人は荷物を持つのが大変です。強い人は弱い人に、ちょっと荷物を持ってあげるよ、と声をかけて一緒に旅を続けられるようにします。自分さえ良ければいい、と皆が思っていたら、弱い人は群れから取り残されてしまいます。
  「キリストも御自分の満足はお求めになりませんでした」(3)。キリストは私たちが背負いきれないものを私たちから取り上げて、ご自分が背負ってくださいました。キリストは私たちの弱さを担ってくださったのです。キリストはご自分の喜びをお捨てになって、私たちが喜ぶのをお求めになりました。ご自分のためではなく、私たちのために十字架への道を歩まれました。