聖書 イザヤ書53章11~12節
ヘブライ人への手紙9章23~28節
説教題 「ただ一度の犠牲」
「ところが実際は、世の終わりにただ一度、御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るために、現れてくださいました。」(26)
 かつては年に一度、大祭司が罪の贖いの儀式を執り行いました。キリストの場合は「世の終わりにただ一度」と、御言葉は語っています。キリストが十字架で犠牲となられたのは、「世の終わりの時代になされた、ただ一度の犠牲」です。キリストはただ一度の犠牲によって、私たちが神に犯した「罪を取り去られました」。
 キリストの犠牲が「ただ一度」だけで、「度々」(25)の必要がないのは、「ただ一度」で私たちは罪を取り去られたからです。「ただ一度」というのは、私たちの過去から現在に至る、すべての罪が贖われたことを意味します。それだけでなく、将来についても同じことが言えます。今もなお、天上において執り成しをしておられるのですから、将来犯すであろう諸々の罪もまた、キリストのただ一度の犠牲によって贖われています。ですから、キリストの犠牲、すなわち、キリストによる罪の贖いは普遍性を持っているということです。こうして、神がお選びになった人たちを、キリストは恵みに与らせます。
週報10月4日