聖書 イザヤ書42章5~7節
    マルコによる福音書8章22~26節
説教題 「何でも見える」
「そこで、イエスがもう一度両手をその目に当てられると、よく見えてきていやされ、何でもはっきり見えるようになった。」(25)
 主イエスはご自身がメシアであることを隠されたまま盲人に触れられました。すると、盲人は見えるようになりましたが、「人が見えます。木のようですが、歩いているのが分かります」(24)と申しました。まだ十分に見えるようになりません。そこで主イエスが「もう一度、両手を盲人の目に当てられると、何でもはっきり見えるようになりました」。
 主イエスは盲人の目を癒されましたが、すぐに何でも見えるようになさったのではありません。人は即座に癒されることを期待しますが、徐々に時間をかけて癒されるときもあるわけです。ただし、いずれにしても主イエスの業は完全ですし、主イエスが考えておられたとおりになります。
 私たちが内なる目を開かされ、主イエスの存在に気づかされるのも主イエスの業によります。初めのうちはぼんやりしていますが、私たちにメシアの救いの業が明らかにされていくうちに、何でもはっきり見えてきます。そしてついには、天の御国で主イエスを見るようになります。
週報1月17日