聖書 イザヤ書52章13~15節
    フィリピの信徒への手紙2章5~11節
説教題 「キリストのへりくだり」
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。」(6~7)
 手放したり、捨てたりというのは、私たちにとっては労力を必要とすることのようです。そのまま持っていたり、固執したりするほうが生き方としては楽なんです。ところが、キリストは私たちと反対です。神と等しくあることに固執するどころか、「かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました」。神のご性質を保たれたまま、「人間と同じ」になられました。
 キリストは徹底して「自分を無にされました」。これをパウロは「キリストのへりくだり」(8)と申します。「十字架の死に至るまで従順でした」(8)。キリストは十字架で苦しみながら死なれました。私たちと同じように、キリストご自身が死んでいく苦しみを味わわれました。キリストご自身が私たちと同じ、いえ、それ以下になられました。すべての人間の罪を負われたのです。すべての人間の罪を負われ、どんな人間よりも低くなられました。罪のある人間を救うために、キリストは神の僕としてお仕えになられました。