聖書 詩編100編1~3節
    コリントの信徒への手紙一 6章12~20節
説教題 「キリストのものとされた人」
「あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。だから、自分の体で神の栄光を現しなさい。」(20)
  私たちの体は不品行や悪を行うためにあるのではありません。「主のためにある」(13)のです。私たちの霊も肉体もキリストに使っていただきます。本来はキリストのものであるわけです。「代価を払って買い取られた」からです。「買い取る」という言葉は奴隷の売買で使われます。奴隷はお金で売り買いされて、お金を払った人のものになります。パウロはここでキリストの業を奴隷売買になぞらえています。罪の奴隷状態にあった私たちは、キリストが代価を払って、すなわち十字架によって、キリストに買い取られました。こうして私たちの体すべてがキリストの体の一部とされ、キリストのものになりました。最も相応しい体の使い方は、キリストに献げて生きることではないでしょうか。
  それでパウロは「自分の体で神の栄光を現しなさい」と申します。この最後の言葉にも「体」という言葉を使われているのは、自分というものが丸ごと救われたからだと思います。私たちの体は罪を犯すためにあるのではない、と言いたいのです。私たちの霊も肉体も、自分のすべてを神の栄光のために献げることが私たちのあり方なのです。
週報1月21日