聖書 イザヤ書2章1~5節
ヨハネによる福音書4章19~26節
説教題 「平和の訪れ」
「終わりの日に 主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ち どの峰よりも高くそびえる。」(2)
「終わりの日」の「終わり」の元になった言葉には、後ろ向きとか背後という意味があります。終わりの日、すなわち将来は、ユダヤ人にとって背後にあり、逆に過去は前にあります。ですから過去の神からの恵みを思い出させられます。反対に将来は見えません。ある人は「人生とは後ろ向きに歩いていくもの」と表現しました。躓かないように、神に手を引いてもらわなければなりません。「終わりの日」は単なる将来ではなくて、神に導かれながら迎える日なのです。
神に導かれているうちに、エルサレムのある「神殿の山」が「山々の頭」になります。つまりエルサレムは最高の地位を与えられ、礼拝の場は保たれます。その時には「国は国に向かって剣を上げなくなります」(4)。「終わりの日」が来ると、国と国、人と人とが平和に過ごせる時代になります。将来そういう時代を来させる、と神は約束なさいました。この約束の実現のためにキリストは来られました。しかし未だに、エルサレムは最高の地位を与えられていません。私たちは将来に背を向けキリストに導かれながら、この世の終わりの日に現れる「新しいエルサレム」(黙21:2)を待つのです。