聖書 列王記下20章1~7節
マルコによる福音書1章40~45節
説教題 「イエスの御心」
「イエスが深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、『よろしい。清くなれ』と言われると、たちまち重い皮膚病は去り、その人は清くなった。」(41~42)
病人が主イエスの前に跪いて頼みました。「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」(40)。主イエスは病人の願いをお聞きになって「深く憐れんで」おられます。心を動かされました。相手の苦しみを思いやり、ご自分も苦しまれました。主イエスの「憐れみ」は相手を助けるための行いを起こさせます。
そこで主イエスはご自分の手を病人に差し伸べられ、触れて、「よろしい。清くなれ」と言われました。病人に触れると感染する恐れがありますが、主イエスは気になさいません。ここで「よろしい」と訳された言葉は、主イエスの意志を意味します。つまり主イエスの御心です。病人が癒され、清められ、神の前に立たせるのが主イエスの御心でした。そのためにご自分が汚れる者になっても、犠牲になっても良いと思われたのです。
神の前に立てなかった人たちを主イエスは憐れまれました。人を神の前に立たせるために、罪の汚れをお引き受けになって十字架で犠牲になられました。この十字架でのお姿に主イエスの御心が示されています。