聖書 詩編65編2~5節
ローマの信徒への手紙8章18~25節
「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。」(18)。
 私たちには将来、栄光が現されることが約束されています。私たちは主キリストと同じように復活させられ、私たちの死ぬべき体が贖われます。主キリストに似た者とされるという栄誉を受けます。これが私たちへの約束です。その時が来たなら、私たちは栄光を受けて、神の子とされます。ここに私たちの希望があります。
 「私たちはこのような希望によって救われている」と、二四節で告げています。将来に希望があることが救いです。今、すでに希望は与えられていますから、私たちは救われた者です。
 栄光を受けて、神の子とされる時が、やがて参ります。完成への途上にある私たちは、苦しみが終わって神の子とされるのを、しばらくは呻きながら待つほかありません。苦しみに呻きながらですが、この苦しみは「産みの苦しみ」(22)です。神の子とされるまでの束の間のものです。将来の栄光に比べれば、現在の苦しみは取るに足りないと、私たちは思えます。