聖書 詩編24編3~6節
    マタイによる福音書5章1~12節
説教題 「幸いな人たち」
「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」(3)
 ここで言う「心」は、私たちの霊性に関わるもので、聖霊と同じ言葉が使われています。人間だけに与えられたもので、神と交わることのできる場です。聖霊が私たちに住んでくださる場が「心」です。「心が貧しい」のは、私たちの霊性に関わる場に何もないんです。貧しくて何もないのは、人間的に考えれば哀しいのですが、心が貧しいのは余計なものが何もないので良いんです。なぜなら、聖霊を求めて自分を明け渡せるからです。「心の貧しい人」は、自ずと神との交わりを求め、神を頼りにします。神だけを信じて生きるようになります。父なる神の御心に適う生き方です。
 ですから主イエスは、心の貧しい人について、「天の国はその人たちのものである」とお語りになります。「その人たちのもの」と言われることで、心の貧しい人たちが天の国に属していることを語っておられます。神の御前においては、誇れるものは何も持たず裸同然の私たちであります。それはそれは貧しい者です。そのような私たちが天の国に属していると言われます。これ以上の「幸い」はありません。神だけを信じて生きる心の貧しい人は、神から祝福されています。