聖書 詩編145編8~9節
    マタイによる福音書20章1~16節
説教題 「主の気前よさ」
「五時ごろにも行ってみると、ほかの人々が立っていたので、『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、 彼らは、『だれも雇ってくれないのです』と言った。主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。」(6~7)
  ぶどう園は神が支配しておられるところ、すなわち天の国です。人を天の国に送るのは神でありまして、神が人を天の国に招いておられるのです。そして天の国の報いを与える、と約束なさいます。主イエスが誰でも同じものを受けられるよう、十字架において約束なさったのです。ですから、神の招きに応じた人に対しては、どんな人であろうと同じようになさいます。神がお与えになる恵みは同じです。
  声をかけられたときに、「行きます」と言うことが肝心です。そうすれば誰でも恵みを与えられます。年齢や働き、信仰年数など、私たちが評価できるもので恵みが与えられるわけではありません。私たちが何もしなくても主イエスの働きがあります。主イエスの十字架だけで天の国に行ける、と私たちは主イエスから約束されました。だから世の終わりの日には、約束された天の国にいられると信じられます。自分の働きに見合わない大きな恵みです。