聖書 イザヤ書43章19~20節
    フィリピの信徒への手紙3章2~11節
説教題 「キリストの内にある」
「キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、キリストの内にいる者と認められるためです。」(8~9)
  パウロはキリストと出会うまで自分の行いで救いを手にしようと励んできました。しかしキリストを知ったことによって、これまで自分が手にしようとしたものは自分にとって「損失」(7)になりました。自分の人生で重きを置いてきた物事をひっくり返されたようなものです。「キリストのゆえ」でした。キリストは唯一無二の貴いものなのです。
  しかも同時に、「キリストを得、キリストの内にいる者と認められる」という将来を与えられました。「キリストの内に」あって、キリストと共にいられます。たとえ世界の終わりが来てもです。その日が来るまでキリストから恵みをいただいて養われます。終わりの日には大きな祝福に与ります。
  だから私たちが頼りにしている自分の行い、そのほかにも掴んでいたあれやこれやは、キリストのゆえに不要になりました。それらは捨てるべきもの、「塵あくた」だったのです。必要なのはキリストの内にあることです。すなわちキリストの体である教会に留まります。教会を通してキリストと交わります。