聖書 詩編103編1~5節
    ローマの信徒への手紙14章1~12節
説教題 「主キリストのもの」
「わたしたちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死ぬのです。従って、生きるにしても、死ぬにしても、わたしたちは主のものです。」(8)
  私たちの死は偶然とか運命で決まるわけではありません。私たちの命は運命にもてあそばれているのではなく、神の御手のうちにあります。死によって地上の命を終えたのち、復活の時を待って、天におられるキリストのもとに移されます。キリストのもとに行くために死ぬ。これをパウロは「主のために死ぬ」と申しました。
  ですから生きているときはもちろん、死んだあとも「わたしたちは主のもの」です。キリストとの関係は続いていきます。キリストが私たちを掴んでくださっているからです。生きているときから天の御国まで導いてくださいます。
  というのも、聖書には「キリストが死に、そして生きたのは、死んだ人にも生きている人にも主となられるためだ」(9)と書いてあるからです。キリストは私たちの主となられるために、十字架で死なれ、私たちの贖いをなさいました。こうしてキリストが私たちを治める「主となられた」ので、私たちは主キリストのものとなったのです。