聖書 詩編126編1~6節
ヨハネの黙示録21章1~4節
説教題 「主の大きな業」
「主よ、ネゲブに川の流れを導くかのように わたしたちの捕われ人を連れ帰ってください。」(4)
主が「捕われ人を連れ帰る」とき、繁栄が再びもたらされます。その繁栄とは賑わいが戻るというよりも、主の祝福に与れるということだと思います。しかし詩人は主が捕われ人を連れ帰ってくださったあとの時代の人間です。どうして詩人は「捕われ人を連れ帰ってください」と願わなければならないのでしょうか。
捕囚から帰って来たイスラエル人は大喜びで再建に取り組みましたが、生活は期待していたほどには良くならなかったのです。自由はあるけれど何かが違う。理想と現実の間に隔たりがありました。だから、繁栄を再びもたらしてくださいと願い、主の祝福を強く求めているのです。言い換えますと詩人は、主の御心を完全に実現させてください、と願っているのです。
詩人の願いは叶えられつつあります。キリストは罪の捕われ人となっていたすべての人を十字架の死によって自由になさいました。まさに「主は大きな業を成し遂げられた」(2)わけです。けれども依然としてこの地上には問題や課題があります。詩人が願った真の繁栄はまだのようです。「新しいエルサレムが来る」(黙示録21:2)、終わりの日を待たねばなりません。