聖書 詩編118編22~25節
    ヨハネによる福音書16章16~24節
説教題 「イエスに会う喜び」
「はっきり言っておく。あなたがたは泣いて悲嘆に暮れるが、世は喜ぶ。あなたがたは悲しむが、その悲しみは喜びに変わる。」(20)
  主イエスが死なれると弟子たちは主イエスとの人格的な交わりを失います。しかし「またしばらくすると、私を見るようになる」(16)と主イエスは言われました。これは聖霊が来られる時を指しているのではないかと思います。その時が来ると主イエスとの交わりを失った「悲しみは喜びに変わる」わけです。
  「変わる」という言葉の元の意味は「なる」です。なかったところに生じる、という場合に使われます。主イエスを失い「悲嘆に暮れ」ます。ところが喜びが突如として生じて、その喜びがどんどん大きくなっていく様を「なる」は表しています。喜びが膨らんで、ついには喜びが悲しみを圧倒するようになります。なぜなら永遠の命を持っておられる主イエスを見るからです。
  死を悲しんでいても、主イエスとの交わりにより永遠の命を与えられて喜びます。人として生きていれば辛いこと、悲しいこともありますが、悲しみ一色にならないということです。永遠の命の喜びがこれらに勝ります。主イエスにお会いするたびに自分に与えられた永遠の命を確かめ、信仰の旅を続けていけます。