聖書 詩編133編1~3節
    エフェソの信徒への手紙2章19~22節
説教題 「共にいられる喜び」
「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」(1)
  「座る」という言葉には住むという意味もあります。「兄弟」が「共に」住みます。これは神の家族、すなわち信仰を同じくする兄弟姉妹が神殿で礼拝するのを指しています。皆が一つの家族のようになって礼拝を捧げるとき、信仰の「兄弟」は「喜び」で満たされました。礼拝の機会が失われていたとすれば、礼拝できた「喜び」は大変大きかったと思います。しかも礼拝で「祝福ととこしえの命」(3)を告げられたので、「なんという喜び」かと思ったわけです。
  ひげに滴る油(2)とシオンに滴る露(3)の二つの喩えは神からの祝福の豊かさを表しています。祝福は上から下に、つまり神から私たちに、尽きることなくもたらされるものなのです。ずぶ濡れになるくらい、祝福の雨を全身に浴びます。信仰を同じくする神の家族は、単に一緒にいるだけでなく、共に祝福をいただきます。とこしえに神のもとで共に住むのです。
  この祝福を私たちは信仰により、かなめ石であるキリスト(エフェソ2:20)から与えられます。「なんという恵み」でしょうか。神の家族が共に祝福をいただく。「なんという喜び」でしょうか。
週報8月31日