聖書 マラキ書3章19~20節
    コリントの信徒への手紙一4章1~5節
説教題 「主の裁きを待つ」
ですから、主が来られるまでは、先走って何も裁いてはいけません。主は闇の中に隠されている秘密を明るみに出し、人の心の企てをも明らかにされます。そのとき、おのおのは神からおほめにあずかります。」(5)
  パウロたち伝道者にとって必要なのは「忠実であること」(2)でした。忠実であるかどうかを見るのは、主人であるキリストです。これは伝道者だけでなく、キリスト者全体に言えます。福音を伝えるのは伝道者だけではないからです。信仰的であるかどうかをご覧になって、裁くのは主キリストです(4)。
  「ですから、主が来られるまでは、先走って何も裁いてはいけない」のです。つまり終わりの日に主キリストが再び来られるときに裁きがあります。私たちは主キリストが再び来られる時を待つのです。主キリストによる裁きに委ねるほかありません。
  自分がどう評価されるかと思うと気が気ではありませんが、主キリストは私たちを救うために来られます。だから主キリストが再び来られる時に、私たちは「神からおほめにあずかる」と信頼して良いのです。主キリストからは忠実な僕と言われます。私たちにとって主キリストの裁きは、私たちが祝福をいただく時です。主の裁きに私たち自身を委ねたいと思います。
週報10月5日