聖書 民数記15章40~41節
テサロニケの信徒への手紙一3章11~13節
説教題 「主が来られる時」
「そして、わたしたちの主イエスが、御自身に属するすべての聖なる者たちと共に来られるとき、あなたがたの心を強め、わたしたちの父である神の御前で、聖なる、非のうちどころのない者としてくださるように、アーメン。」(13)
ここでの「心」は人間の良心とか、霊的なものだと言われます。私たちの「心」の最大の汚点である神への罪は、キリストの死によって赦されました。けれども人への愛は十分とは言えませんので、私たちの「心」が完全に清められたわけではありません。そのようなキリスト者が完成に近づけられるようにとの願いを込めて、パウロは「心を強め」られますようにと祈ります。
私たちは聖霊の働きによってキリストと結ばれています。キリスト者としての完成に向かう聖なる者になっています。こうして聖なる者になっていくのを聖化と言います。パウロはここで聖化について祈っているのです。なぜなら主イエスが「来られる」からです。主イエスが再び来られるとき、私たちは「神の御前」に立たされ、「聖なる、非のうちどころのない者」かどうかを問われます。自分で自分を聖なる者に変えることはできませんので、私たちを聖なる者に近づけてください、と主イエスに祈っているわけです。

