聖書 詩編116編5~7節
    コロサイの信徒への手紙3章1~4節
説教題 「キリストを待つ」
「あなたがたの命であるキリストが現れるとき、あなたがたも、キリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう。」(4)
  三節には「あなた方の命は、主キリストと共に神の内に隠されている」(3)とあります。ここでの「命」は私たちの体の復活のときに明らかにされる永遠の命です。洗礼を授けられた人は、永遠の命の約束をいただいています。この永遠の命は今、「神の内に隠されて」いて、時が来たら与えられるよう取り置いてあります。
  その時というのが四節にある「キリストが現れるとき」です。これは終わりの日の出来事を指します。「現れる」という言葉には「知られるようにする」という意味もありますので、キリストが再び現れ、隠されていた永遠の命を私たちに知らせてくださいます。取り置いてあった命を与える日が来たからです。
  その日が来ると、「私たちもキリストと共に栄光に包まれて現れるでしょう」。ここでの「栄光」は、私たちが永遠の命を与えられたあとの姿です。私たちにとっては将来の出来事ですけど、キリストによる救いは将来にわたって効力を失うことは考えられませんので、私たちが栄光を与えられるのは確実です。ですから私たちはキリストが現れるのを待ちます。
週報12月7日