聖書 イザヤ書49章5~6節
    コリントの信徒への手紙二 2章12~17節
説教題 「キリストの香り」
「救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。」(15)
 ここでの「香り」は芳ばしさを強調するものです。香りに強さがあります。これがキリストの香りなんです。鼻の奥をくすぐる、軽い香りではなくて、はっきりとした主張を持った、強烈な香りです。どんなところにでも漂っていきます。しみ込んでいきます。
 私たちはこのような「キリストの香り」、言い換えれば、芳ばしい香り、強い香りであるというわけです。芳ばしいものですから、本来、ほかの人が顔を背けたくなるようなものではありません。旧約時代の神の民は、焚かれた「良い香り」を、神への献げ物としたほどです。
 つまり、パウロはここで、「私たちはキリストの良い香り」だと言って、香りに二重の意味を持たせています。「勝利の行進に連なっている私たちは」(14)、一つには神への献げ物であるということ。もう一つには、ほかの人に受け入れられるはずのものであるということです。「私たちはキリストの良い香り」と申しまして、宣教のために仕える自分たちは、キリストの香りを放っていると言います。「キリストの香り」というのは、宣教の務めと結びついているわけです。