聖書 詩編16編7~11節
マルコによる福音書16章1~8節
説教題 「復活への驚き」
「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない」(6)。
死なれた主イエスの体を捜す人に、「主イエスは復活なさったのだ」と、主イエスの復活が告げられます。主イエスは死なれたままだと思っている人たちに、聖書は主イエスの復活を語ります。主イエスは復活なさったから、墓の中にはおられません。墓の中を捜しても、見つけることはできないと、聖書は語ります。これがマルコの伝える、復活の日の朝の最初の出来事です。
人によっては何回、何十回と聞かされてきた言葉です。聞かされた最初の頃は、主イエスの復活を信じられなかったと思います。ところがある時、「主イエスは復活なさった」という言葉を信じたわけです。もはや婦人たちに語られた言葉としてではなく、今の私に語られた神の言葉として聞きます。
この神の言葉が真実だと認めるのが、私たちの信仰です。主イエスが復活なさったのは真実であると、私たちが主イエスの復活を受け入れられるのは、信仰によるほかないのです。ですから、主イエスの復活が、どのようにして起きたのかは、問題にいたしません。主イエスは復活なさったと、神が自分に告げておられる。自分は復活を信じる。それだけでいいんです。