聖書 創世記15章1~6節
    ガラテヤの信徒への手紙3章7~14節
説教題 「祝福された人たち」
「信仰によって生きる人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されています。」(9)
  実現していない祝福の約束を「信仰の人アブラハム」は信じました。「それは彼の義と認められました」(6)。「義と認められる」のは救いと同じ意味を持っています。アブラハムは神に将来の約束を聞かされたときに信じただけでしたが、それで十分でした。信じるだけで良かった。信じただけで救われ、祝福の約束に大きく近づけられます。
  同じように、「信仰によって生きる人々こそ、アブラハムの子であるとわきまえなさい」(7)とパウロは申します。信仰が同じかどうかです。つまりユダヤ人も異邦人も関係なく、アブラハムの信仰を受け継いだ人たちは、その信仰によって神の祝福をいただける。これが福音なのだ、と聖書は告げております。「信仰によって生きる人たちは、信仰の人アブラハムと共に祝福されています」。
  「信仰によって生きる」というときの「信仰」には何も加えなくて構いません。信仰だけ、ということです。私たちが十字架の主キリストを信じる、その信仰だけで私たちは祝福を約束されています。「信仰だけで生きる人たちは祝福されているのです」。
週報8月29日