聖書 エゼキエル書34章11~16節
    使徒言行録20章17~35節
説教題 「主のものとされた教会」
「どうか、あなたがた自身と群れ全体とに気を配ってください。聖霊は、神が御子の血によって御自分のものとなさった神の教会の世話をさせるために、あなたがたをこの群れの監督者に任命なさったのです。」(28)
  パウロが申します「監督者」は教会の中での特別な職務を指しているわけではなくて、教会全体に目配り、気配りする役割です。羊飼いが羊の群れに気を配るように、という意味が込められています。世話をしたり、困っているのを助けたりするのも羊飼いとしての監督者の気配りです。つまり、パウロはお互いを気にかけるよう求めているのです。
  このようにパウロが教会についてあれこれ申しますのは、教会を「神が御子の血によって御自分のものとなさった」からです。キリストがご自身の血を代償として支払われたことで、教会に加えられた私たちが神のものとされた、ということです。すなわち教会も私たちもキリストのものですから、キリストが真の羊飼いとして気を配ってくださいます。このことを具体的に現すために、聖霊は監督者を「任命なさった」わけです。教会はキリストのご支配のもとに置かれていますので、監督者も含めてあらゆる人間が教会を好き勝手にするのをキリストはお許しになりません。