聖書 詩編3編1~9節
    テサロニケの信徒への手紙一5章16~18節
説教題 「それでも、主よ」
「主よ、それでも あなたはわたしの盾、わたしの栄えわたしの頭を高くあげてくださる方。」(4)
  詩人は敵から「神の救いなどあるものか」(3)と言われます。神の助けがないのをあざ笑い、神をも侮辱します。信仰者は神から引き離そうとする力に攻め立てられます。このとき詩人は「主よ、それでもあなたはわたしの盾」と申します。「しかし」と言って信仰に踏み留まります。ここでは「あなた」を強調していますので、あなたこそ、あなただけと言い換えてもいいかもしれません。主よ、あなただけが私の盾です、と言いたいわけです。神だけを頼りにいたします。
  神の救いなどあるものか、という敵の言葉を鵜呑みにしてはいけません。神は信仰者を守り、信仰者が神に向かって声をあげれば、答えてくださいます(5)。祈りに答えてくださる神です。神の救いというのは、状況を一気にひっくり返すような奇跡のようなものではないかもしれません。けれども自分の願いを越えたものになることもあります。祈りへの答えは私たちには予測がつきません。何が起ころうとも、主が支えていてくださいます(6)。自分は神に寄りかかっていればいい。自分は無力でも神がついていてくださいます。神の救いはあるのです。