聖書 イザヤ書63章8~9節
    ヨハネによる福音書12章20~26節
説教題 「栄光に至る道」
「はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。」(24)
  麦の「死」というのは、麦の粒が地面に落ちて、土に埋もれて腐ることです。そうすると麦の殻が破れて、芽が出やすくなります。主イエスはご自分を「一粒の麦」に喩えておられます。ご自分が地に落ちて死ぬことによって、多くの実を結ぶようになります。
  ここで言われる「多くの実」は、主イエスが天においてお受けになる栄光のほかに、私たちに与えられた恵みをも意味します。主イエスの死によって私たちは永遠の命を与えられて、天の栄光を受ける栄誉を授かりました。主イエスが地に落ちて死んでくださったから、私たちは新しく生かされることになったわけです。一粒の麦が地に落ちて死なれた。このことに私たちの救いがかかっています。
  この一粒の麦の喩えを自分に当てはめることも主イエスは言われたのではないでしょうか。「この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至ります」(25)。「憎む」というのは、ほかのものと比べて大事にしないという意味です。自分というものが死ぬことによって永遠の命の実を結ぶようになります。
週報4月28日