聖書 詩編116編1~7節
    マタイによる福音書26章36~46節
説教題 「苦しみの中での祈り」
「更に、二度目に向こうへ行って祈られた。『父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように。』」(42)
 この主イエスの祈りの前半をほかの聖書で次のように訳しています。「私が飲まねば過ぎ去らない杯なら…」。このとき主イエスは、十字架の死を避けて通るわけにはいかない、と祈られたわけです。前の祈りでのご自分の願いを完全に退けられ、父の御心が行われることだけを求められました。父の御心とは救われるべき人が主イエスの群れの中に加えられることです。すなわち、教会を通して人を天の国に入れるようになさるのが父の御心です。
 「御心が行われますように」と祈られた主イエスは、御心の実現に向けてご自分の願いを退けられ、父に従われました。主イエスはご自分を退けられたのです。そして主イエスの前に置かれた十字架を、ご自分のものとして受け入れられました。ご自分の前に置かれた十字架を背負われ、父の御心を成し遂げられました。ご自分の死によって私たちの罪を清めて、私たちを天の国に入れるようになさるためでした。主イエスの十字架の死のゆえに、私たちは父の御心のままに天の国に迎えていただけるのです。