聖書 イザヤ書43章1~4節
    コリントの信徒への手紙一 1章26~31節
説教題 「誇る者は主を誇れ」
「神によってあなたがたはキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは、わたしたちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。」(30)
  これまでパウロは、何も持たない者が神に選ばれると述べてきました。そのうえキリストとの交わりが与えられました。それは神の前で自分を誇らせないためです。キリストご自身が死から復活なさって天に挙げられたように、何も持たない私たちも終わりの日には天に引き上げられます。誇るべきものがあるかどうかに関係なく、キリストによって祝福されます。世の価値観に馴染んだ私たちには土壇場での逆転劇に思えます。
  終わりの日に起こるはずの逆転劇の一部は、すでに教会において始まっています。キリストによって為された、また為されつつある逆転劇こそ「神の知恵」にほかなりません。キリストが神の知恵を具体的に現されましたから、キリストご自身が「神の知恵となられた」と言います。それゆえ神の知恵であるキリストだけを私たちは誇りとします。キリストの御名を称えて栄光を主に帰します。何も持たない罪人の集まりである教会にキリストの栄光を称えることが許されている。これもまた神の知恵だと思うのです。